ブラジル人の想像力には羽が生えている

 軽やかなのだ、全てが。
 例えば、60年代に爆発的にアメリカで流行ったブラジル産のボサ・ノヴァ。あれが米国で喜ばれた本質的な理由はおそらくブルース、スワンプといった労働歌とか沼といったある種の足にまとわりつく類の「湿り気」を含んだ「重さ」を根っこにもつかの国の人々が持ち得なかった「軽やかさ」にあったのではないか。とか、適当なことを言ってみたくなるぐらい、軽いのだ。いい意味で。

SOM IMAGINARIO

SOM IMAGINARIO

 例えば、最近Rev-OlaでリイシューされたSom Imaginario(Imaginary Soundの意)の1970年作。かのMarcos Valleがバックで起用したこともあるこのサイケ・バンドのルーツは勿論英米国の先人をしっかりとお手本にした、サイケとプログレが入り混じったものだけれど、Os Mutantesと同じく、アイディアの混ぜ方に湿り気のようなまどろっこしさや情念が感じられない。かといって、スッキリ爽やかというわけでもなく、ファズもエコーも大袈裟なサウンドエフェクトも各所でガンガン鳴ってて音像はかなり混沌としているのだけど、あくまで何かが宙に浮いてるような「軽さ」をどこかに秘めている。シラフのくせして3フィート・ハイ・アンド・ライジング。しかも、キメる時は確実にキメる迷いのない突進力、決定力。筋肉のついたストレンジネス。バネじかけのオレンジ(跳ねる)。根本的なルーツが「密林」って、コレ聴くとなんだかすごい説得力ある。



ノーヴォス・バイアーノスF.C.(紙ジャケット仕様)

ノーヴォス・バイアーノスF.C.(紙ジャケット仕様)

 そりゃね。ワールド・カップでのブラジル・チームの嘘みたいな足さばきとか見てると、基礎体力以前にそもそも身体の中に流れているリズムというものに対する根本的な概念が他の国と違うんじゃないかって思いますよ。んなもん勝てっこないっすよ。で、実際バンドでサッカー・チームをやってたのが、この70年代の大所帯男女コミューン・バンドのOs Novos Baianos。これがまたすごいんだ。まず、ギターの音がありえない。ヘリウムガスを思いっきり吸わせましたみたいな、異様に軽くペラッペラなギターの音色(“空気のように軽い”という意味でこれぞエア・ギター)が、これまた異常なまでにフットワークの軽いリズム隊や、歯切れのいい男女ヴォーカルと一体となって絶妙なコンビネーションでこちらの「耳」という名のゴールを狙いまくってくるわけですよ。基本的にテンポ(パス廻し)が早いのと要所要所でフェイントかましてくる展開から、もうついていくのがやっとだったりするのだけども、気がつくと空想上のフィールドの上で青空の下、彼らと一緒に汗だくになってサッカーをプレイしているような胸踊る楽しさと爽やかさに満ち溢れてくるのです。

 『F.C.』なんて思いっきりサッカー意識した(ジャケもそのまんま)73年のこのアルバムでも若干アコースティックな音作りに傾いているものの、JOAO GILBERTOの客演で知られるDorival Caymmi作の「O Samba da Minha Terra」(我が祖国のサンバ)を思いっきりせっかちにプレイしてるのを筆頭に、アコギなのにエア・ギターみたいになってる「Com Qualquer Dois Mil Reis」や、Baby嬢のヴォーカルがキュートな「Os Pingo da Chuva」、これぞエア・ギター!な神技プレイが炸裂する高速インスト「Alimente」などなど、その先天的な俊敏さは健在。雲ひとつない青空に向かって思いっきりボールを蹴り上げてるようなスコーンと抜けたアコースティック・サンバ・ポップを展開しております。あーキモチいい!

 これは、英国や米国産の脳でコネクリ廻して作りあげたようなプログレやヒネクレ・ポップの連中には絶対的に作り得ない、ブラジルだからこその、脊髄と本能から生まれた「反射神経ポップ」。

おかず五品

ブルニール&カルチエール
マルコス・ヴァーリ(1970)
三月の水
Mutantes
ペレ