サーフボード

surfboard


ROBERTO MENESCAL E SEU CONJUNTO / SURFBOARD (ELENCO 1966)

 「粋」には先天性のものと後天性のものの2種類あると思うがどうか。どうかといわれても困るから勝手に話を進めると、生まれた時から苦労知らずで気ままに生きていける環境にある自由人が前者で、努力や苦労を重ねて人と交わりあってゆく中で己の粋さに磨きをかけていくのが後者。後者は「粋」の中にもどこか哀愁を滲ませるのが特徴(完全に偏見)。ついこの前までは後者の方がすごいすごいと思っていたのだけれど、最近は前者は前者でやっぱりすごいと思うようになった。だって、ねぇ、人生勝ちっぱなしですよ、アンタ。苦労もせずに。カイジも真っ青ですよ。そんな奴ってやっぱすごいじゃない(実際見たことないけど)、いい年こいて“なると大使”ってすごいじゃない。
 んで、この人は圧倒的に前者でしょう。ホベルト・メネスカル。非常に覚えにくい名前ですが50年代から60年代前半にかけてボサ・ノヴァの隆盛に多大な貢献をしたコンポーザー/アレンジャー(あのカルロス・リラとギター教室を開いてたとか何とか)なのですが、この人元々お金持ちのボンボンの出だったらしくて、その環境がストレートに作る音に反映されているのです。非常に軽やかで、さわやかで、洒落た、小粋なインストゥルメンタル。「ボサ・ノヴァ」といわれて万人が頭に思い描く音をそのままキレイにトレースしたかのような、絵に描いたようなボサ・ノヴァ。何しろ『BOSSA NOVA』、『BOSSA NOVA DE』、『NOVA BOSSA NOVA DE』と、「ボサ・ノヴァ」とつくタイトルのアルバムばっかり発表しているところももはや粋というか適当と言うか何というか、イージーゴーイング。でも、そういう恵まれた環境にいる人にしか出せない音というのは絶対にあるわけで、この説得力のある有無を言わせない軽やかさ、つまりは重くならなさ、重くなれなさ、なりようのなさ、は他の国の他の時代の他の環境の人間には永久に出せ得ない空気感をもっています。その「存在の堪えられない軽さ」。あぁ、羨ましい!
 さぁ、そこへ来て『サーフボード』と来ましたよ。どーですか、このジャケのノホホンさ加減!おそらく海の向こうのbeach boysを意識してるのでしょうが、エレンコ・レーベルのクールなアート・ワークとも相まって何ともとぼけた味わいを醸しだしております。写ってる人たちの微妙なマジ顔っぷりがまた小憎たらしいですねぇ。そよ風のようなフルートやコロコロ転がるヴィブラフォンを携えて、jobimやmarcosの曲を肴に海岸でのんびり楽しくビーチ・パーティー。時間はいくらでもあるから我を忘れて楽しもう・・・
 はっと気づくともう3月だっていうのに何故か突然雪が降ったりする異常気象真っ只中の小さな島国の中のちっぽけな寒い部屋でブルブル震えながらこの文章を書いてる自分に気づきます。そういう意味で非常にこれは非現実的であり、自分の周りの状況とのあまりの落差に愕然とさせられるとてつもなく残酷なアルバムなのですが、それでもこの軽やかさにはもう抗えない魅力があるのです。特に1曲目jobim作の表題曲「surfboard」のさざ波のようなストリングスが引いた後の一瞬の静寂に潜む途方もない孤独感に気づいてしまった日にはなおさら。