快楽の原理

pleasure principle


GARY NUMAN / THE PLEASURE PRINCIPLE (BEGGARS BANQUET)

 音楽における空気感というものの大切さを痛感させられる一枚。ここで鳴らされる分厚いシンセのウォール・オブ・サウンド(もしくはドローン音)が醸し出す漠然とした大仰な空気は神秘性と孤独感を同時に聴く者に呼び起こすという点で、ゲイリー・ニューマンが歌う曲の世界観を的確に演出しているといえる。例えば代表曲「CARS」のイントロでピロピロピロ〜と地底から湧いてくるようなシンセの響きはまるで梅沢富美男の「夢芝居」のようにあのイカしたリフの中を富美男が蛇腹をもって花吹雪、もしくはスモークの中を登場してくるシーンと同様のカタルシスを感じさせる。そう、ニューマンはシンセサイザーという楽器を、(ニューマンが敬愛していたKRAFTWERKらジャーマン・バンドの連中が試みていたような)未来感の演出のためだけではなく、いわば舞台効果のスモーク代わりとしても用いたのである。だからこそ人々は彼の創り出すその謎めいたクールな音世界に没頭し、熱狂することができたのだ(そしてそのスモークが消え去った後の人々の引き具合の凄まじさといったら!)。さすがに20年以上経った今(このアルバムのリリースは79年)の耳で聴くとフレーズ単音弾きによる極端なまでのスカスカ具合に、とてつもないチープさを感じてしまうかもしれない。さらに妙にもったりしたタイム感をもつ人力ブレイクビーツもなんともキッチュだ。しかし、この分厚いシンセの放つなんともいえない空気感(と彼のヴォーカル)がそこに流れた途端、何らかの説得力のようなものが生まれてしまうのだから不思議。クラフトワークが偶然発見した電子音楽のもつ快楽性を、一般大衆にもわかりやすい形で咀嚼し、なおかつ自分自身のパーソナリティを反映させつつもポップ・ソングとして浸透させていった彼の才能と役者っぷりは、もっともっと評価されてしかるべきだろう。そして、去年のマツケン・フィーバーを見るにつけ思うのは、今の時代の音楽に足りなかったのは、彼のように人々が安心して心酔できるような、圧倒的な空気感(存在感)と、人々が各々の内に抱えているものをそこに投影できるようなある程度のスペース(余裕)を持った音楽家(役者)ではないか、ということだ。

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