今日の音飯

cosmic thing

The B-52's / Cosmic Thing (warner)

 def leppardなら『hysteria』、cureなら「just like heaven」、squeezeなら「hourglass」、M/A/R/R/Sなら「pump up the volume」(ってそれしかないじゃん)っていう個人的な法則(?)はそのままこのバンドにも当てはまる。この全米で大ヒットしたアルバムには大ヒットするだけの理由というか大衆性というものが実に巧妙に封じ込められている。そして私はそんな音楽が大好きだ。それは勿論あくまで80年代後半当時の大衆を基準としたものなので、今という時代の「気分」から言えばファーストやセカンド辺りがしっくりくるのかなーとは思う。でもやっぱりこれリアルタイムで聴いていたし、当時のおおよその雰囲気みたいなものは何となく覚えているから今でもこの音の「匂い」が一番しっくりきてしまう。こういった「体にフィットする音」の感覚は音楽を継続して聴いてる人なら誰でもあることだと思う。それでも「産業ロック」と、彼らのような「ニュー・ウェーブ/ディスコ」あがりのバンド特有の「エキセントリシティ」の幸せな結婚という80年代後半でしか起こりえなかった一部の(ブラコン全盛の時代に生まれた白人の手による)奇妙な折衷音楽には、「大衆性」と「アーティストとしての個」がバランス良く(大体7:3の割合で)共存しているという点で、単なる「産業ロック」や「ニュー・ウェーヴ云々」よりも時代の経過による風化をあまり感じさせない「良質の普遍性」と呼べるものを保有しているのではないか、そしてこのアルバムこそがそういった音楽のひとつの頂点と呼べるものではないかと思うのだ(勿論私の偏った主観)。それは具体的には今作のプロデューサーであるdon wasやnile rogersの(音の輪郭のやたらクッキリとした)スキのない鉄壁のプロダクションと、彼らのいい意味でスキだらけのパーティー的ノリ(+B級SF趣味)、そして器となる曲(どことなく60年代風)のポップ度の高さや、ポップスの王道としてのケイトとサラの二人のヴォーカルのハーモニーの美しさ、それに対するフレッド・シュナイダーの稲川淳二高田純次を足して2で割ったようなうさん臭すぎるヴォーカルなど、まるで正反対とも言える各要素がそれぞれお互いの足りない部分を補いあって、パーティー・アルバムとして、さらにポップ・アルバムとしても申し分のない一級の娯楽作品に仕上がっているからだ。これで売れないわけがない、けれどもこんなバランスのアルバムは後にも先にもこれだけなのだ。だから、ここに収められた音からは今でも89年の能天気なアメリカ(表向きのね)の楽しげな後ろ姿がぼんやりと浮かび上がってくるのだけれど、ひょっとしたらそれは90年代の白人音楽が象徴する「踊れないアメリカ」を目前にした最後のパーティーだったのかもしれない。